気がつけばホログラフィ


 現在,「ホログラフィックフェムト秒レーザー加工」「ホログラフィック時空間レンズを用いた多光子顕微鏡」「ディジタルホログラフィック顕微鏡」の研究を進めています.気がつくとホログラフィ研究をしていました.

 私の昔話からはじめさせて頂きます.研究室1)に配属されたころ,ホログラフィは古くさいという印象しかありませんでした.その当時,光コンピュータの研究が花盛りであり,私は,春の応用物理学会で見た光ニューラルネットワークの研究2)に飛びつきました.そのセッション後の光コンピュータ研究会で,先生に『光ニューラルネットワークの研究をやりたいです』と宣言しました.修士1年の学生が,良い研究アイデアをすぐ出せるわけもなく,長い時間もがいていました.私は先生から自由に勉強し考える時間を与えてもらいました.

 光ニューラルネットワークにおける「自己組織化」や「学習」は,極めて魅力的な言葉でした.「ホログラフィ」は,それとは対局的な言葉として捉えていました.外部振動に影響を強く受ける干渉を基本原理として構成されたシステムは,除震台を抜け出せないので,一般利用の機器には使えないと心の底から信じていました.そのように言う大人の方もおられました.大学院時代は,干渉も回折も明示的には使わない光ニューラルシステム作りに励んでいました.レンズは色々な方向からの光の干渉の結果で集光するというような理解ができるまでには,ずいぶんと時間が必要でした.ただ,研究者としての成長期に掴んだ記憶は,なかなか消しきれないもので,「ホログラフィック○○」のような研究をしていますと,どこか体をくすぐられるような感じです.

 博士の学位を取得後,光ニューラルネットワークの研究をしていたこともあり,生物へに対して非常に強い興味を持ち,理化学研究所の光生物研究チームに所属しました3).生物物理の研究なら,自分にでもできそうな気がしていたからです.その時のツールは光ピンセットであり,細胞やDNAなどを対象として研究を進めました.理化学研究所には,和光に半年,仙台に1年半の計2年間勤めました.このときに知り合いになれた方々は,今では各分野で活躍されている方ばかりで,その人脈は極めて貴重なものとなっています.理化学研究所での2年目1994年秋「計算機ホログラムを用いた光ピンセット」の研究で科学研究費補助金を申請し,採択されました.私の行った初めてのホログラフィ研究でした.

 その後,生物の自己組織化現象と酷似している「自発的光パターン形成」の研究に没頭し,ホログラフィからは離れていましたが,2001年頃から「3次元光メモリー」の研究4)に刺激を受け「フィンガーネイルメモリー」の研究を開始し,それと同じ時期に生体や光散乱体の内部に記録した情報を再生するための「低コヒーレンス干渉計測」の研究を開始しました.その後の「ホログラフィックフェムト秒レーザー加工」や「低コヒーレンスデジタルホログラフィ」に繋がっていきます.今考えますと,あれだけ嫌っていたホログラフィ研究に辿り着いたことは不思議です.

 皆さんもよくご存じでしょう.ホログラフィの魅力は3次元です.3次元的に並列に物質をアクセスし,物質の3次元的情報を瞬時に取得できるところです.他の技術ではできません.近年では,回折限界の壁を越える手法も多数あります.超短パルスレーザーの超高速性や物質の非線形励起も新しいホログラフィを実現します.ホログラフィは可視光だけの技術ではありません.近年のイメージセンサーやコンピュータの性能向上は,今まで実現できなかったホログラフィを可能にします.ホログラフィ研究は,至極か,成れの果てか,今後に期待!

1) じゃんけんに勝ち希望通り谷田貝研究室に配属されました.その後,私だけ大学院の試験に合格したため,電子技術総合研究所で研究することになりました.石原さん,森さんには,反抗もしましたが,色々なことを教えても頂きました.

2) 1988年3月30日,応用物理学会関係連合講演会にて,石川先生が「光アソシアトロン」を発表されました.私にとって衝撃的な発表でした.

3) 3月になっても就職の決まっていない私を見かねた伊藤先生が紹介してくれました.理化学研究所は,多くの重要な知識と経験,スキルを与えてくれました.田代先生が私を和光のレーザーグループに半年間在籍させてくれたことは,極めて貴重な体験となっています.

4) 三澤先生がフェムト秒レーザーを用いた3次元光メモリーの研究をしていました.その後の私の研究に強い影響を与えています.


早崎芳夫, "気がつけばホログラフィ," HODIC Circular Vol. 30, No. 4, 表紙 (2010.10)を改変